浜田市金城町波佐地区の観光、文化、特産物の情報をお伝えしています。

観光案内

みんなで守る郷土の自然地域「常磐山のカシ林」
『自然観察会用ガイドブック』のご案内です。

image170316-1.jpg島根県指定「みんなで守る郷土の自然地域」の指定を受け、波佐文化協会が管理団体として、施設整備と清掃奉仕活動を行っています。
 このカシ林は33株のウラジロガシ(300年生)、100株のヤブツバキ群、常緑低木(チャボガヤ、ユズリハ、シロダモ、ハイイヌガヤなど)の混成林で樹間を遊歩道(石畳)160mが敷設されています。
 樹林帯のガイドブックの
ダウンロードはこちら→ 自然観察会用ガイドブック」(PDFファイル2.1MB)

 

地域まるごと博物館マップ案内2018
地域まるごと博物館パンフ(PDFファイル)

能海寛・島村抱月のふるさと金城町

【天頂山浄蓮寺と能海寛顕彰碑】

天頂山浄蓮寺と能海寛顕彰碑真宗大谷派の寺院。本堂は総ケヤキ造り、能海寛がチベットへ旅立つ前に設計しておき、大正5年に完成した建造物である。顕彰碑は、昭和57年6月6日に町民の浄財によって完成した。この顕彰碑は、顕彰碑、略歴碑、歌碑で構成されている。付近には、能海寛手植えのハクモクレン(浜田市指定天然記念物)が毎春見事な花を咲かせる。

 

【郷土の傑人顕彰板】

郷土の傑人顕彰郷土の偉人チベット探検家・能海寛と日本近代劇の創始者・島村抱月の顕彰板(略歴碑)で、昭和51年11月28日に波佐文化協会の発起により町民の浄財で完成した。抱月の生誕地を調査・研究して、確定した事によって、この顕彰板が建立された。

 

【浜田市金城歴史民俗資料館】

浜田市金城歴史民俗資料館2浜田市金城歴史民俗資料館文化年間(1804-1817年)に完成した「たたら倉」を歴史民俗資料館に改修したものである。石見地方唯一の「たたら関係」の資料館である。「二丁ふいご鑪」の復元展示、「たたら古文書」、「カンナ流場絵図面」、「鑪場絵図面」、「たたら用具」など1,000点。この他、郷土の偉人能海寛資料3,000点(この内の357点は浜田市指定文化財)、島村抱月関係資料100点や埋蔵文化財5,000点を収蔵している。

 

【浜田市金城民俗資料館】

浜田市金城民俗資料館浜田市金城町波佐・長田・小国地区より全点無償提供による民俗資料3,000点収蔵展示している。国指定758点、島根県指定221点など、特に紙漉き用具では全国でも稀な「カヤの漉簀」などの資料がある。石見地方山間部の生産用具、生活用具を体系的に収集・収蔵した資料館で、「いろりの間」の復元展示、楮蒸窯の復元展示、豊富な民俗資料で比較研究の出来る資料館である。

金城歴史民俗資料館の詳細
浜田市金城歴史民俗資料館パンフレット(PDF)

 

 

【常磐山八幡宮と大絵馬額】

常磐山八幡宮と大絵馬額宇治川の先陣争いで名を馳せた佐々木高綱が建立したこの八幡宮は文治元年の創建である。後に、尼子経久によって再建立された。秋祭りには夜神楽が夜明けまで奉納され、神楽殿には、大型の絵馬額が16面展示されている。裏山の大杉の間には創建当時からの野外の的場が現存している。鳥居の脇にある「手水鉢」は、享和3年医師の田中見俊が奉納したもので、亀の姿が刻まれた水盤の中央に八卦が配置されている。古くは、一文銭で八卦占いが行われていた。

 

【常磐山の大杉】

常磐山の大杉八幡宮の裏山には、アシオスギと称される大杉5株が島根県指定天然記念物、日本老樹銘木指定、島根県の巨樹130選などに選定れている。一番の巨木は樹齢1千年と推定される。目通り8.5m、根回り11m。秋には紅葉し、春には新緑が蘇える大杉である。

 

【常磐のカシ林と遊歩道】

常磐のカシ林と遊歩道島根県指定「みんなで守る郷土の自然地域」の指定を受け、波佐文化協会が管理団体として、施設整備と清掃奉仕を行っている。このカシ林は33株のウラジオガシ(300年生)、100株のヤブツバキ群、常緑低木(チャボガヤ、ユズリハ、シロダモ、ハイイヌガヤなど)の混成林で樹間を遊歩道(石畳)160mが敷設されている。自然観察にうってつけの樹林帯である。

常磐のカシ林と遊歩道の詳細
常磐のカシ林と遊歩道パンフレット(PDF)

 

 

 

【笠松峠の畳石路】

笠松峠の畳石路1笠松峠の畳石路2この畳石路は文化8年に完成した旧津和野藩時代の奥筋道で、「鑪と紙の道」である。頂上までの全長1,800mの内、畳石部分は1,200mと、全国第2位の長さを誇る畳石路である。畳石の幅1.2m急な場所は鼻先を浮かせて階段状とし、馬の蹄が滑らないように施行されている。鑪の盛んだったこの時代は、井野村から砂鉄の運搬に馬が使用され、蹄で道が損傷するため、畳石が敷設された。津和野藩主亀井公が領内の御巡検で馬乗通行、能海寛も法務往来の時には、この畳石を通行した。

 

【波佐一本松城跡】

波佐一本松城跡鎌倉時代から戦国時代までの中世の山城で、主郭(300m)を中心とした4つの郭、腰郭、竪畝状空堀群、堀切、切通し、軍用水路跡、石垣があり、防御を主にした守りの城郭。南北1km、東西400mの山城は弓矢の時代から鉄砲の時代まで使用されたため、空堀も工夫が施されている。波佐地区は、黒金(たたら鉄)の産地であったことから吉川元春夫人すず氏の御料所であった。周辺遺跡から12~15世紀の中国産の青磁が出土している。この山城の特徴は、陰陽道の鬼門除けの為に東北の方向に大歳神社を構築し、南の方向に入口を設けている。また礫石置き場、水攻め施設など山城研究には最適な城郭である。

 

【千年比丘1号墳】

千年比丘1号墳この千年比丘1号墳は、直径15mの円墳で石見地方最古の古墳である。埋葬施設は東西に川の字型に3つの埋葬施設がある。墳丘上には頭大の砥石が置かれていた。周辺には鼓型器台などが壊されバラ撒かれた儀式の様相を呈している。周辺には縄文・弥生・古墳時代の集落遺跡があり、七渡瀬Ⅱ遺跡の住居址はセットである。古代のたたら製鉄を研究する上で重要な遺跡である。

 

【大潰山の山つつじ】

大潰山の山つつじ広島県境の東側に位置し、山頂付近から東側200haにわたり、ミツバツツジ、キレンゲツツジの群生、柏の群落が山行者の目を楽しませてくれる。古くは柏原山とも呼ばれ、奈良時代には石見国の国境の?示であった。「くにびき国体」では山岳踏査競技のコース会場として使用された。

 

【永昌寺と尼子経久公の墓】

永昌寺と尼子経久公の墓戦国の武将尼子経久公が永正年間に長子・政久の霊を弔うため、この地に七堂伽藍の永正寺(臨済宗)を創建した。法華経3,000部が奉納されたという。この時の住職は京都・東福寺の明海賢宝和尚で、経久逝去の時、月山冨田城下の葬儀に赴き経久公の分骨墓を永正寺に営造した。その後、永正寺は消失したため、津和野の永明寺の末寺として曹洞宗永昌寺と改称し、今日に及んでいる。永昌寺の裏山には、大杉(浜田市指定天然記念物)1株がこれらの歴史を見守っている。

 

【大佐山&雲月山】

大佐山&雲月山西中国山地国定公園の大佐山(1,069m)と雲月山(918.8m)は、どちらもハイキングなど軽登山に最適な山容である。大佐山の東麓には大佐スキー場があり、国道186号線のすぐ側にあり、初心者でも楽しめるスキー場である。この2つの山は、古代から「鉄穴流し」の水源として貴重であった。雲月山は草原で女性的な山容で鉄穴流しの水路が現存している。特に大佐山は、広葉樹林帯の自然林が多く、春の新緑と秋の紅葉時は見事である。

 

【能海寛詠の歌碑10基】

能海寛詠の歌碑10基2能海寛詠の歌碑10基1チベツト巡礼探検家の能海寛師が中国・四川省でふるさと八景などを詠んだ歌10首を平成17年4月に碑として完成したものである。設置場所は、浄蓮寺、大歳神社、ときわ会館、浜田市金城民俗資料館、常磐山八幡宮、波佐天満宮、花城登山口の7か所である。この歌碑を一巡すると6kmの歌碑めぐりウオークが楽しめます。毎年5月に、「能海寛歌碑めぐりウォーキング大会」がときわ会館をスタート・ゴール会場として開催されます。

 

【亀谷家の速田神社】

亀谷家の速田神社亀谷家の由緒は、元尼子経久の家臣で雲州から田中興市左衛門宣晴が初代として來村、土着したものである。亀谷家の娘が安芸国速谷神社の宮司と婚姻関係であったところ、毛利軍との戦火に遭遇したため神官は亡くなった、天正11 (1583) 年8月、田中氏は速谷神社に出向き娘を引き取り、御神体を捧受して亀谷家へ持ち帰り、南西方向に「速田神社」を造営して御神体を納めた。「速田」とは、速谷神社と田中の姓の頭の一文字を用いたものである。

 

【島村抱月生誕地顕彰の杜公園】

島村抱月生誕地顕彰の杜公園島村抱月は、金城町小国下土居123番舎にて佐々山半三郎とチセの長男として生まれる。この下土居の生誕地に抱月の「胸像」、「略歴碑」、「歌碑」を建立し、「生誕地顕彰の杜公園」として整備されている。「知音都市交流」のシンボルとしてカチューシャの唄の「メロディボックス」が設置されている。

 

【桑田岩石園】

桑田岩石園「桑田岩石園」は、「島村抱月生誕地の杜公園」の川向いにあり、桑田家(医師)は、抱月一家と親しく交流があった。この「岩石園」は、元桑田家の敷地内に島根県地質学会会長の桑田龍三氏が収集した日本各地の岩石130点を公開展示している。園内では、桑田氏が丁寧に展示岩石の説明に応じていただける。

 

【大旧山光超寺の大イチョウ】

大旧山光超寺の大イチョウ光超寺は、天正8年(1580年)創建の浄土真宗本願寺派の寺院で、境内の大イチョウ(浜田市指定天然記念物)の樹は、当時からの植栽樹である。島村抱月の父・佐々山一平は晩年には、光超寺の北側にすまいを構えていた。明治38年1月7日に一平は、いろり端から失火して焼死した。その際に光超寺も類焼し、境内の大イチョウも片側が焼き焦げた。一世紀後の今日は、焼け跡の部分は樹皮が巻き込み傷口を癒している。

 

【ほたる湯館グラウンド・ゴルフ場】

ほたる湯館グラウンド・ゴルフ場2ほたる湯館グラウンド・ゴルフ場1浜田市金城町波佐イ267-2、国道186号線に隣接した5千平方メートルの敷地内に21年7月にオープンした「ほたる湯館グラウンド・ゴルフ場」が市民交流の拠点として活況を呈しています。グラウンド・ゴルフ場は、駐車場、クラブハウス(休憩所)、バーベキュー場、トイレが完備されています。
 日本グラウンド・ゴルフ協会公認コース(2コース・16ホール)、全面が姫高麗芝を植生。水と緑の自然環境の良いコースです。コース名は、石峰コース(チベット探検家・能海寛の雅号)、抱月コース(文豪・島村抱月)とふるさとの偉人から命名されています。
 4月から11月までの毎月25日には「抱月杯」、石峰杯」、「ほたる杯」、「ほたる月例杯」3回、 「ペアー杯」、「チャンピオン大会」等の各種大会が開催されます。
 周辺は「源氏ホタルの里」でほたる鑑賞の期間中は、「ほたる回廊」として足元灯が灯され安全にホタル見物ができます。

グラウンド・ゴルフ場の様子

ほたる湯館に隣接した16ホール(計2コース)の全コース芝のグラウンド・ゴルフ場です。
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